安楽死
このコロナで常に身の危険を感じ、もしかしたら死ぬかもしれないと考えている。
私の死生観は、若くして死んだ先輩や18歳で交通事故で死んだ同級生からくるものだ。
人はあっけなく死ぬ。それも突然にだ。もうかれこれ30年はたつだろうか、その先輩は30歳でガンで亡くなった。最後に一緒に食った飯はうなぎだった。胃がんで胃を全摘していたので、ほんとうは食ってはだめなんだけど。そんなに長く生きれねーからよ。と言って食っていたのを、今も鮮明に覚えている。その2週間後に亡くなった。とても悲しかった。
悔しくて悲しくて、荒れたように毎晩飲んでいた。まえの働いていた業界では、かなりのやりてのビジネスマンだった。とてもお世話になった先輩であり、尊敬もしていた。
ちなみに私の尊敬している人間は3人ほどしかいない。尊敬する基準はとてもハードルが高い。金だけ持っていて器の小さい人間など論外である。あとは裏切る人間とかね。
まあ、そんなことどうでもいいか。スイスのテレビ局で、末期がんの元議員の安楽死の特集をやっていたのを見た。もう手術をして助かる見込みがないのなら、戦う意味がないと言っていた。そして彼の顔は、人生でやり残したことはない。そんな表情だった。
安楽死で自死を選ぶのに、なんと清々しい顔なのか。私は感心した。
もし日本で安楽死ができたのら、自分はどうするのか。もし末期がんになったとしたら、もし寝たきり状態になったら。そうなったら、安楽死という選択肢があれば気が楽になると思う。口から物が食えなくなったら、それで終わりでいい。自然に死んでいくのが一番いい。
もしあの世があるのなら、会いたいひとはたくさんいる。人生矢のごとし、もう50を過ぎてしまった。特にやりたいこともなく、だらだらと過ごしている。恐くてあまり外にでたくない。日本にもぜひ安楽死法案を作ってもらいたいものだ。いざとなれば生活保護、いざとなれば安楽死。そうなると死をも超越できるかもね。恐いものがなくなるわ。