文芸春秋70年史
このコロナに対してなにもできない政府そして官僚。そのシステムが機能不全というか、そもそも失敗の原因はなになのか?すごい気になってしまって歴史を遡ることにした。まだ読んでいる最中だが、戦時中のシステムが今現在も官僚システムだと仮定する。とどうなるか?結果は敗戦である。腐った官僚システムは、結局敗戦の責任もとらないまま今も続いている。不祥事を犯しても、誰も責任をとらない。国のトップが決断するときも責任をとらないのだ。
今の菅総理がわかりやすい。コロナの対策をとるとき、よく分科会の先生方の話を聞いて決めたいと。つまり自分で決めることができないのだ。それはつまり責任をとりたくないのだ。これが一国の総理がやることなのだ。大企業のトップも同じようなものだ。
この腐ったシステムが戦前から続いているのだ。まだ読んでいる途中なので、また読み切ってから、ブログに投稿することにする。
誰も責任を取らず、のうのうと時は過ぎた。それがいまだ。
企業のトップは易々と人件費を削り、なんのイノベーションも起こさない。保身に走る愚か者だらけである。ごまかすことで生きながらえてきた官僚や政治家、そして大企業。
誰も責任をとらないシステム、それを運用する官僚どもを一新させないとこの国は終わることになる。前回の民主党政権でやっておけばよかったのかもしれない。まんまと自民党、安倍晋三に騙されたわけだ。もう官僚もAIにやらせたほうがいいと思う。財務省は予算を決めるだけ、ほかの省も人間がやる必要はないだろう。究極は政治家もだ。
この国は明治維新から、舵取りを間違えたかもしれない。そんな感じがする。
日本人は自ら考えて行動することに慣れてない。絶大的なトップに従うほうがいいのだ。
それが天皇であるのだと思う。そして資本主義ではなく、社会主義のほうがいいのだ。
総中流社会でよかったのだ。誰もが幸せな社会。それでいいのではないか。
恵まれた環境での競争。それこそが日本社会のあるべき姿なのだ。
今日はかたい話でごめんなさいね。思ったことを書かないと、すぐ忘れちゃうんでね。