雨の日の思い出
雨の日になると、たまに思い出すのがむかしの彼女だ。その彼女とデートするときは、ほとんど雨だった。そしてよく膝枕をしてもらった。母性愛の強い女性だったのだろう。
その彼女も今は40代後半なので、結婚して幸せに暮らしていることだろう。
何もかも捨てた人生。まさに今の自分だ。最初は競争に参加していたけど、いつのまにか脱落した。後悔がないと言えば嘘になるが、実際後悔はない。あるとすれば子育てぐらいかな。
かわりに妹の子供を自分の子供のようにかわいがったわ。欲しいものは、すべて買い与えたわ。いまでも彼は、おれに感謝している。うちの甥や姪を見ると、小さいころは我慢させずに、なんでも買ってあげたほうがいいかもしれない。
小さい頃の精神構成を誤ると、しょうもない大人になっていくのではないか。
そう思えてくる。いわゆる損得勘定ばかりの人間になるということだ。
資本主義経済なんで、それが悪とは言わんが。度が過ぎると、中身のない人間になってしまう。金、金、金になる。俺みたいな人間は、生まれてくる時代を間違えてしまったのだ。
なんの欲もなく、ただひたすら他人のために働く。大半の人間が、こんな考えを持っているに違いないと。10年前まではそう思っていた。そんな考えが吹き飛んだのは、愛知県にきてからだね。まわりを見渡せば、損得勘定の人間ばかりだった。
おれが親身になって相手につくせばつくすほど、都合よく利用されていった。
そしてよく騙された。こっちに来る前は、そんな人間に出会ったことがなかった。
義理人情を大事にする先輩、そして慕ってくれる後輩。絶対的に信用できる親友。
どれも貴重なことだったんだな。いまさらながら、東京にいたときは、すげーいい環境だったんだな。といつも思う。また東京にもどろうかと思ったら、10年前の3月11日に地震があり、時は流れていった。そしてだんだん意欲がなくなり、戻る気がなくなった。
今は、ただダラダラと過ごすことが幸せだ。ただ感染したくないだけかもしれない。
ひとは私のことを優秀だと言うが、まわりの人間が優秀なのでやる必要がなかった。
ただそれだけだ。もう一花咲かせろと甥が言う。でもね、もうこのままでいいわ。
60で高齢者住宅に移り、そしていつでも生活保護を受ける準備をする。
今の財産は健康だ。これからは健康に充分に気をつけながら生きていく。これでいいのだ。
バカボンのパパは、天才だよな。あの説得力。憲法に定められている最低限の生活を、送ることができればいいのだよ。本来無一物、どうせ無に帰るのだ。
みなさんも、これでいいのだ。と言えるような人生を、お過ごしください。