50代のおっさんの日記

独身、貧乏、社会不適合者!将来は孤独死です。そんな50代のおっさんの日記です。

生活保護という生き方

 みなさん、おはようございます。お元気ですか?私は朝からヤマト運輸さんが、らでぃっしゅぼーやを配達してくれたので、野菜を整理しておりました。

頼むようになってから、スーパーへは行くことはありません。

まあ、それでも近所の肉屋さんには行っております。

さて、私は生活保護については肯定派でございます。ほとんどの方は、否定的な立場ではないでしょうか。先日も、生活保護ユーチューバーの方の動画のコメントに、ひどいことを書かれた方がおりました。生活保護は権利であり、どうしてもダメだった場合は受けるべきだと、思っております。

否定的な方は、おそらく自分の払った税金で生活保護費が払われていると思ってますよね。自分の払った税金を怠け者の生活保護受給者に使うな。こんな心情では、ないでしょうか?私はお金の価値なんて、紙切れだと思っております。

政府が発行した紙切れを、みなさんが使っていると。単なる物とサービスの価値を、紙切れに交換しているだけだと。その価値観を持つようになってから、生活保護受給者もひとつの生き方だと思うようになりました。

彼らは負け組なのではなく、勝ち組ではなかろうかと。

労働とはいったい何なのか?働いて紙切れを稼ぐ。紙切れを稼ぐほど、ストレスがたまる。我慢して紙切れを貯める。紙切れを貯めたところで、コロナで使う場所がない。私も働くことが嫌いなので、できることなら生活保護を受けたい。

それは無理なことだけどね。多くの国民が、生活保護を受ければこの国も変わるかもしれない。なぜなら政府が紙切れを発行しているからだ。別に働かなくても国から紙切れを、貰えばいいのでは。そう思うようになった。

しかし固定概念とは、恐ろしいものだ。単なる紙切れに壮大な価値があると思っているのだからね。老後は、年金と足りない部分は生活保護とか。ありかもしれないね。今日も元気に隣の住人の生活音がうるさいわ。